第一線で躍動する先輩たち!
Graduates
Graduates
1988年4月、全国で初めての調理短期大学「奈良調理短期大学校」が誕生しました。開校以来、多くの卒業生を世に送り出し、第一線のプロの現場で多くの方が活躍しています。
このページでは、そんな先輩方へ特別インタビューを一部掲載しております。
※順番は卒業順となります。
松室 克哉 さん
店舗(ジャンル、その他)
まつ喜(日本料理・ミシュラン一ツ星)
卒業年
1996年
先輩からのコメント
奈良調理短大に通学しながら奈良の日本料理「川波」で修業し、大阪の味吉兆に移りました。学校で学んだ料理基礎・知識が今もいかされています。
清水義隆 さん
店舗(ジャンル、その他)
味所望(日本料理)
店舗URL
卒業年
1970年 (若羽調理専門学校調理師科卒)
学校生活について
学校に入った時の印象は家庭的で明るい雰囲気の学校でした。先生とも身近に感じ楽しい学校生活を送りました。
卒業後の進路
卒業して「吉兆」に就職しました。当時としては、調理師学校を卒業して就職した人はほとんどなく、自分が初めてだと思います。
吉兆の料理長がのれん分けしてお店「味吉兆」を出されるのでそちらに移り、その後料理長となりました。その後、退職して今のお店「味所望」を開店しました。
先輩からのコメント
これからの料理人に望むことは、個性を活かして、目的に向い、自分の道を進んで行って欲しいということです。今の時代は卒業して就職すると、即戦力として扱われ挫折して行く人が多いので負けないで頑張って欲しいと思います。
山村信晴 さん
店舗(ジャンル、その他)
和やまむら(日本料理、ミシュラン一ツ星)
店舗URL
http://www15-yamamura.sakura.ne.jp/newpage2.html
卒業年
1974年 (若羽調理専門学校調理師科卒)
入学した動機
中学、高校の頃は器械体操の選手だったので体育の先生になるつもりでした。しかし、高校を卒業する頃に、技術を身につけてフランス料理のお店を熊本で開こうと思い、奈良の若羽学園に進学しました。
学校生活について
学校に入学した時はフランス料理の「レストラン菊水」で働いていましたが、和食の「菊水楼」の手がたりなくなったので、そちらに移ることになりました。
学校の印象は家庭的で、校長先生とボーリングしたのが思い出として残っています。
卒業後の進路
卒業してそのまま「菊水楼」に残り、24歳の時「味吉兆」に勉強に行く事になり3年間修業しました。28歳で「菊水楼」の料理長となり、50歳で退職、「和やまむら」を開店しました。
先輩からのコメント
料理の道を極めるのは忍耐と毎日の努力しかありません。日本料理を目指す人は日本文化を勉強し、また、「お茶」の知識を持って欲しいと思います。自分は毎日、コツコツと努力し、自分の考えを貫いています。毎日、お店をきれいに保ち、お花を16ヵ所、自分で生けることが日課です。